それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所(いっしょ)になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰(く)り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町(こうじまち)ですか麻布(あざぶ)ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並(なら)べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建(にほんだて)も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概(いちがい)にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想(かわいそう)だ、不仕合(ふしあわせ)だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
2009/05/29(金) 12:34 グルメ 記事URL COM(0)
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清(きよ)という下女が、泣きながらおやじに詫(あや)まって、ようやくおやじの怒(いか)りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖(こわ)いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒(ゆいしょ)のあるものだったそうだが、瓦解(がかい)のときに零落(れいらく)して、つい奉公(ほうこう)までするようになったのだと聞いている。だから婆(ばあ)さんである。この婆さんがどういう因縁(いんえん)か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想(あいそ)をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾(つまはじ)きをする――このおれを無暗に珍重(ちんちょう)してくれた。おれは到底(とうてい)人に好かれる性(たち)でないとあきらめていたから、他人から木の端(はし)のように取り扱(あつか)われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審(ふしん)に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真(ま)っ直(すぐ)でよいご気性だ」と賞(ほ)める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好(い)い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌(きら)いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺(なが)めている。自分の力でおれを製造して誇(ほこ)ってるように見える。少々気味がわるかった。
2009/05/12(火) 12:34 仕事 記事URL COM(0)