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もう少し年をとって相続が出来るものなら
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行(ゆ)かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立(しゅったつ)すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介(やっかい)になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極(きま)っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟(かくご)をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多(がらくた)を二束三文(にそくさんもん)に売った。家屋敷(いえやしき)はある人の周旋(しゅうせん)である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳(くわ)しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町(おがわまち)へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡(わた)るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何(なんに)も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
2009/06/22(月)
12:33
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甥の厄介になる方
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下(くんだ)りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半(よじょうはん)の安下宿に籠(こも)って、それすらもいざとなれば直ちに引き払(はら)わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥(おく)さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥(おい)の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支(さしつか)えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴(な)れた家(うち)の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易(ほうこうが)えをして入らぬ気兼(きがね)を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻(さい)を貰えの、来て世話をするのと云う。親身(しんみ)の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
2008/10/02(木)
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